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23歳でまさかの〇〇!?正光寺吉井住職の激レアな”履歴書” 【ノーカットインタビュー】





インタビュアー:おさむ


お坊さんになるのって普通の中学、高校、大学を通うんですか??


吉井住職:そうですね、私の場合は東小学校、東中学校、東高校に行ってそこまでは苫小牧で普通に過ごして、大学は京都の龍谷大学っていう普通の学校なんですけど、一応京都の西本願寺ってお寺が我々の大元のお寺で、そこが土台の大学なんですよね、宗教の学校で。


そこでお坊さんの勉強をして、みたいなのが一般的な流れだったりするんですね。


おさむ:じゃあ普通に4年間大学行ってたんですね?


吉井住職:そうですね、普通に大学行ってました。





大学を出た後はお寺に入って修行するっていう形なんですか?


吉井住職:だいたいは4年間大学行って、ここから少し難しいんですけど..


前提としてお坊さんと、住職っていうのは違くて、住職っていうのは会社の社長みたいな感じなんですね。お坊さんはサラリーマンみたいな。


お坊さんになっても、お坊さんとして働かない人もいるんですよ。お坊さんとしての資格を頂いても普通の会社員になる人もいたり、学校の先生になる人もいたり、それぞれ進む道があるんですよね。


でも私はこのお寺に産まれて育ったので、いずれはこのお寺の住職を継いでいくみたいな。

私で4代目なんですけど、その前は父親がやってその前はおじいちゃんがやって、最初はひいおじいちゃんが初めてっていう流れなんですけど、それで継いでいくということは流れとしてあったので、その為にまずお坊さんにならなきゃということで、龍谷大学の文学部真宗学科という、浄土真宗を学ぶ学科があって、そこにいって勉強してお坊さんになりました。


本来だったら大学卒業したあとに下積みのために、他のお寺に勤めに出たりとかするんですが、僕は家がお寺なので父親のもとで下積みをする予定でした。


お坊さんの下積みって長いんですよ、10年20年とかはザラですね。


それでそろそろ代ろうかっていうので代わるんです。40才でも若いと言われる世界で、だいたいは50才くらいで代わるところが多いんですけど、

私の場合は23才のときに父親がバタっと倒れて亡くなってしまったので、交代しなきゃみたいな笑


おさむ:23才って大学出てすぐですよね!?


吉井住職:そうですね笑


僕は大学出た後に大学院に進んだので、大学院一回生のときに、交代するということになりました。





そこはちょっと変わった大学院で、龍谷大学大学院実践真宗学研究科っていうところで、真宗学っていうのはお坊さんになるためのものなんですけど、【実践】ていうのが現場で動くって意味で、2500年前に説かれた仏教の教えというのは昔すぎて書いてないことがそこで起こったりもするんですよ。


今で言ったらコロナで悩んでる人にはどうしていけるかとか、病床がなくなったときにお坊さんは何ができるかとか、そーゆーのは書いてないじゃないですか。

なのでそーゆーのを研究する学問があって、そこに在籍してたんですよ。


そこに在籍した一年目の時に父親が倒れてしまって、急に交代をすると。

それが23のときです。交代したんですけど、私京都なのでやめて苫小牧に戻ろうと思ってたんですが、周りのお寺に関わる人達が、「入ったんだから卒業して出てきなさい」と言っていただけて、「わかりました」と。


わかりましたと言ったんですけど、京都で学生生活が2年半残っていたんです。笑

2年半住職をほったらかすわけにもいかないので2年半の間、月に1回か2回のペースで京都と苫小牧を行き来してました。


おさむ:めちゃくちゃ多忙すぎません??笑


吉井住職:そうですね笑


まぁでも苫小牧は空港近いので、朝イチの飛行機乗るとお昼の授業間に合うんですよ。笑

わりと無茶なことはしてました。

でもそのおかげで2年半で無事大学院も終了して、こっちに戻ってくることができましたね。


おさむ:なかなか大変な20代前半を過ごしたんですね。

40才でも若いと言われる世界で、23才で住職になってしかも京都と苫小牧往復って、人生でほんとにはじめて会いました。笑


吉井住職:僕が住職になったときは全国的に見ても1番若いと言って良いくらい若い住職でしたね!

お坊さんが若手と呼ばれるのが年齢で言うと45才までなんですよ。

23才で住職になって、いつまで若手って言われんのみたいな。笑




物心ついた時から自分はお寺継ぐんだなっていう意識はありましたか?


吉井住職:一応その周りの期待とかもあって、これお坊さんあるあるなんですけど、反発とかする時期ってあるじゃないですか。産まれてお坊さんすらもよくわからないときから、あんたは大人になったらお坊さんになってお寺を継ぐんだよと言われて育っていたので、やっぱ僕も多少はあって、


大学どうしようかって時期に、ちょっと考えたんです。


別にお坊さんじゃなくても、自分がやりたいことってなんだろうとか。でもやりたいことがなくて、なにしていいかわからなくて、でも宗教ごとには反発もあるし、仏教の教えとかもよくわかんないし、親がやってることだったので実感はなかったんですよ。


それで周りが、龍谷大学行って宗教の勉強をしてきなさいと言ってくれたので、とりあえず行って違うと思ったらやめようと思って、みんなが良いって言うんだからきっとなにか素晴らしいものがあるんだと思って、物は試しで洗脳されに行こうと思って行ったらしっかり洗脳されました。っていう。笑


素晴らしい教えだなぁ、仏教すごいなぁって。笑






自分の中で大切にしてる言葉とかはなにかありますか?


吉井住職:大切にしてる言葉かぁ、そうですねー、住職になって、例えばお寺をよくしていこうとか、伝統的なお寺で苫小牧にも根付いてるお寺なんですけど、やっぱり業界全体的に衰退していってるというのがありますね。全国に8万あるんです。コンビニよりもお寺の方が多いんですよ。笑


そのうちの4万のお寺は食べていけない、兼業しなきゃいけない。

さらにその半分、2万のお寺は住職もいなく廃寺寸前という自体なんです。会社で言ったら倒産ですね。


今までやってきたことももちろん大切なんですけど、自分の代は大丈夫だけど、次の代は継いでいく人もいないかもしれないという世界に今いるんですよね。


で、そうなったときに、「古きを尊び新しきを取り入れ」って言うんですけど。


僕古いものが好きで、伝統的なものとか。

この世界って義理人情の世界で、そこも僕はわりと好きなところだなと思うんです。

でもそれがそのまま現代に活かせるかって言われたらそうでもなくて、言った言ってないとかが日常的に起こっていますよね。じゃあ一筆書いてくださいとかもわりと新しい文化だったりするので、そーゆーのも取り入れていかないとダメだなと思いますね。


それは違う分野とか業界でも大事だと思っていて、この間おさむさんとお会いしたときも根掘り葉掘り聞かせてもらったと思うんですけど、僕は人の話聞くのが好きで、他の分野の人の悩みだったり解決しようとしてる問題とかって意外とお寺にも活かせることがあったりするので、そーゆーことは大切にしてますね。


おさむ:「古きを尊び新しきを取り入れ」かっこいい言葉ですね!


吉井住職:いつもカッコつけて言ってるんです。笑





最後に若者へのメッセージをください!


吉井住職:少しでも地元のことに触れて、外に出ていけばいいと思いますね、苫小牧の外に。

地元の良さに気づくのって外に出てやっと気付くと思っていて。


私京都に行って思ったのは、苫小牧ってお水美味しかったんだなって!

京都の水あったかいしにおいするのが出てくるんです笑

それが顕著に出たのが、うちの妻大阪の一般のお家なんですけど、初めてこっちに来た時に、母親が水飲むかい?って言って、いただきますって言ったら、こっちの人は普通に水道水入れるじゃないですか。大阪ではありえないんですよ。笑


特に客人にこんな水を飲ませるのかっていう、これが嫁いびりかと思ったらしいです。笑

でもそれを受け取って飲んだ時に、こんな冷たいミネラルウォーターみたいな水が出るんだって言って驚いてましたね笑


そーゆー小さな良さでも知って外に出て、苫小牧っていうアイデンティティを持って活動してもらいたいですね。

地元って誇れた方が良いじゃないですか、苫小牧良いところだって。


もう一つめっちゃお坊さんらしいこと言うと、「絶対に人は死ぬ」ってことですかね。

それをたまに考えながら生きたほうがいいよって。

まじで人って死にますから。

そうすると人に優しくもなれると思うんですよね。

今のお坊さんらしくないですか!?笑


おさむ:まさに!ですね笑






おわり





『正光寺』苫小牧/高砂

◾️みんな大好き正光寺

◾️開基は1920年と北海道では歴史のある寺院です

◾️住職:吉井直道さん



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🏠:北海道苫小牧市高砂町2丁目3−21

🚃:苫小牧市の中心街から南へ下った海岸の側にある浄土真宗本願寺派(お西)のお寺


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詳細は動画でご確認ください!


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